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家の親父の田舎が九州の平戸でした佐世保まで🌸さくらに乗った記憶があります🌸
国鉄期の車掌長(専務車掌?)さんにしてはぎこち無いね。
この車掌は珍しく下手。
この車掌は多分、今まで荷専(荷物取り扱い専務車掌)で、客専(乗客取り扱い専務車掌)になったばっかりだったんでしょうね。
小学1年の夏休みに父、母、姉、従姉妹、私で肥前鹿島から東京まで、さくら号に乗車しました。その頃車内でどのように過ごしたか思い出せないのだけれど、日常ではない事は確かで、気持ちが高揚してた感覚と眠れなかった記憶だけは覚えています。寝台特急さくら号は姿を消してしまいましたが、生きている間にもう一度、寝台特急に乗りたいです。動画ありがとうございました。
用事もなく、乗るだけのためのお金もなく、子供心にただただ高級で憧れのブルートレイン。東京駅に写真を撮りに行っては、イケナイと分かりつつも、出発までの数分間に1車両を通過して旅情を想像し楽しんだものです。それ故に走行中の車内音は想像すら付かず、さらに14系の分散型発電の音はどうなのかなど知りたいことが沢山ありました。この動画は子供の頃に描いた夢を叶えてくれます。その頃に戻った気持ちになり、そして何より贅沢。色々upされている様なので楽しませていただきます。ありがとうございます。
この時代は夜行列車より飛行機の方が格段に安くなるなんて思いもしなかった。
飛行機は搭乗一週間前は割引が効かないからな
日本特急のエース絶大な人気を誇ったスター特急食堂車が連結して14系の3段ベッドなので比較的安い寝台券で乗車できた少年時代憧れた特急列車で一度は乗って見たかったです
高校の修学旅行、帰りはさくらに乗って東京に帰りました。友人たちと寝落ちするまでずっと喋り続けていた記憶は今も大切な宝物です。
40年ほど前に横浜から博多まで乗りました。初めてのブルトレだったので興奮でなかなか寝られず、ふと起きたらベットを片付けるとのことで周りの大人たちにせかされた思いでがあります。
1:01~7:27(東京発車後長~い放送)特急さくら号ご利用いただきありがとうございます。さくら号、東京駅時間通りの発車でございます。この列車の編成は、一番前が1号車。一番後ろが12号車となっております。1号車から7号車までが、長崎までまいります。8号車から12号車まで、後より5両は佐世保行となります。肥前山口の駅で、長崎行と佐世保行とに分かれます。なおこの列車の編成の1号車・4号車・6号車~12号車まではB寝台でございます。2号車はA寝台。3号車はカルテット。B個室でございます。5号車は、食堂車の編成になっております。それでは、終点長崎・佐世保まで停まります駅の到着時刻をご案内をご案内致します。次は、横浜に停まります。横浜、沼津、富士、静岡の順に停まります。次の横浜17 : 01に着きます。沼津18 : 15、富士18 : 30、静岡18 :59(繰り返し)。なお、静岡から2号車ただいまA寝台、お座席になっておりますが寝台に変えさして頂きます。静岡から係員が参りますので、A寝台にお座りのお客様、寝台作業にご協力をお願いいたします。静岡を出ますと、豊橋20 : 19、名古屋21 : 07、京都22 : 54、大阪23 : 24、徳山、明日朝5 : 08に着きます。徳山5 : 08、小郡5 : 44、宇部6 : 06、下関6 : 44、門司6 : 56、小倉7 : 08、博多8 : 04、鳥栖8 : 32、佐賀8 : 56、肥前山口9 : 08。肥前山口9 : 08に着きます。肥前山口の駅では、長崎行と佐世保行とに分かれます。長崎行は、1号車から7号車まででございます。長崎行は、肥前山口を出ますと、肥前鹿島9 : 27、諫早10 : 19、長崎10 : 40。長崎には、明日午前10 : 40に着きます。佐世保行は、8号車から12号車まで5両でございます。肥前山口を出ますと、武雄温泉9 : 37、早岐10 : 07。終点の佐世保10 : 27に着きます(繰り返し)。なおこの列車には、車掌が3名常務致しております。東京車掌区所属の徳田・松本・依田、以上3名でございます。終点までお供させていただきます。なお、皆様にお願いを致します。洗面所で洗面の際、外されました時計・指輪・眼鏡等、忘れがちでございます。洗面所で洗面の際、十分ご注意ください。また、くずもの類は備え付けのくずもの入れにお捨ていただきますようお願いいたします。くずもの入れは、各車の洗面所付近(繰り返し)と、デッキにはめ込みのくずもの入れが備え付けでございます。お食べになりました弁当の空・空き缶等、くずもの類は備え付けのくずもの入れにお捨ていただきますようご協力をお願いいたします。なお車掌は、常時8号車におります。常時、車掌は8号車におります。車掌に、御用の際は車掌が通りましたらお申し付けください(繰り返し)。次は横浜に停まります。ホームは、左側になります。横浜17 : 01の到着です。
さくらのカルテットを覚えています。3号車だったんですね。途中下車しハウステンボスに行ったこと思い出します。もう走っていないんですね。時の流れですね。懐かしすぎます。
懐かしい。高校生の時に東京に一人旅した際に「さくら」を往復で利用しました。青春の思い出の一ページを思い出しました。ありがとうございます。
就職で上京したのが昭和62年3月31日で国鉄最終日のさくらでした。
寝台特急さくらはEF651000番台+14系の組み合わせが最高でした。
いい時代だな。。。
懐かしいなぁ。東京駅では、向かい側のホームに185系の普通がいたのを覚えてます。亡き祖母とA寝台に乗った時は、19時頃にどこからともなく、係員がやって来て座席を寝台にセットしてくれたのを思い出しました。そして食堂車でハンバーグセット食べたり。まさに夜汽車の旅を思い出しました。ありがとうございます。
素晴らしい映像感謝❗食堂車、洗面所、車掌さん。流れ去るネオンサイン。「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴール。モザイクなしがいいですね😃目が潤んで来ました😅
小学校の頃に毎年長崎~小田原間で利用していました。食堂車のチープな味のカレーとディスペンサーで出した炭酸薄めのコーラの味を思い出します。
さくら号下り明朝からの食堂車。早速出向き和定食を食べて小郡辺りでコーヒー頂く時間が幸せの 絶頂だったんだなと、今ようやく気づきました。
懐かしいです。父の転勤で長崎・佐世保両方住んでいた関係でどちらの編成とも乗車しました。
ちょうど、3段から2段寝台へ改造した直後に、佐世保まで乗りましたね。自分も車内放送、カセットテープで持ってたんですが、どこへしまったやら(笑) 貴重な動画ありがとうございます‼️
懐かしい❗️あの頃、若かりし頃の思い出がいっぱい❗️
名前だけは新幹線で引き継がれましたが、やはりこういうのは寂しいですね。
両親が佐世保出身なので、帰省する時はさくら、あかつきを利用してました。懐かしい。動画ありがとう😊
ブルートレインはEF65・PF後期型がいちばんカッコいい時代でした。この動画をどうか消さないでほしいです。
さくらは残念ながら乗ったことは無いですが、東京発ブルートレインのうち、一番早い時間に出るやつと記憶しています。あとこの頃はA寝台でも個室ではなく、開放型でややグレードは落ちてました。
食堂車。他の九州ブルトレは日食門司営業所でしたので、さくらは別メニューで皿うどんとかがありました。
東京発ブルトレは1980年10月ダイヤ改正の編成から全て乗車しました!一番最初に乗車した瀬戸はL特急やくも乗り継ぎで岡山まででした。一番想い出深い列車は何と言っても出雲で50回以上乗車しましたねぇ。阪神大震災発生時、出雲号は山陰本線電化工事のため伯備線経由運転でしたが、1995年夏、復旧工事始まったばかりの神戸の街中を20km徐行で真夜中走ったあの壮絶な光景は現在でも忘れられません。。2008年11月、寝台特急富士はやぶさ乗車で自分のブルトレ乗車は終焉してしまいましたがブルトレで過ごさせて頂いた様々な夜は多感な時期に己と対峙する至極貴重な時間と成り自分の人生を変えたと言っても過言ではありまん。。ブルトレの存在と想い出は自分にとって、まさに人生の宝物です!
日本食堂の放送はポイントが高いですね、車窓を眺めながら旅の話をしながらの飲食は長くなってしまいそうですね。早朝、おはようございますから始まる朝の放送を聞きながら通路側の壁面に収納された椅子に腰かけてボーっとした頭で車窓を眺めるのが好きでした。 しかし、今は、320㎞の旅路、車窓の眺めがすっ飛んでいきます。
旅のレストラン日本食堂やからね🤗
到着時刻案内で小郡駅があるのが最高です。現在、新山口などという何が新しいのかサッパリ分からない駅名にしてしまっているので、戦前からの伝統ある駅名が聞けて良かったです。ありがとうございます。ちなみに2019年山口駅から博多まで移動した際、山口駅のみどりの窓口で「博多までの乗車券と小郡から博多までの新幹線特急券をください」と言って切符を購入しました。
懐かしい!、車内放送のオルゴールにメタル感溢れる走行音、他の列車とは違い、隔絶されたような窓からの景色、また乗りたいな。さくらは、鳥栖での分割が印象的でした。
鳥栖は0番線の立ち食いうどん思い出します。懐かしいですね~
時代が発展するに連れて全てが華やかな風景になるが、情緒という心の風景は失われて行く。
今は寝台列車というより瑞風みたいな「金持ち」専用の列車が増えすぎて、なんか悲しい。
もう一回寝台特急に乗りたかったな〜、車輪の軋み音がうるさくて寝れなかった記憶が有るな〜。しかしそれも贅沢や〜、チャイムも懐かしい。 列車旅と 旅行の違いだね。肥前山口の名前文字今は無い😂
最初に乗ったブルートレインがさくらだった。乗車区間は名古屋から長崎で、関門トンネルの牽引機関車はなんとEF81 300番台だった(H11年頃)
私若い頃寝台特急に乗ったのよを思い出すよ、東京駅を出って社内アナウンスで停車駅ゃ時間のアナウンスを思い出します!もう、博多駅に着いたのかもっと乗りたいのにと思った、若き頃の思い出が🤗。
長崎です。懐かしい。。B寝台で、三段ベットでしたね。修学旅行も帰りはさくら号。昔、出張は列車のみで、さくら号でした。16時間の旅でした。まだ、未成年の時に、同じ、椅子に座った方に飲まされたのを覚えてます。また、よく、ご飯もタダでもらってました。ありがとう。ブルートレイン!
健康なうちに乗ってみたかったな!
昼前に長崎着くのは便利だなぁ
上りはアンカーということもあって、東京駅到着が昼前(11時33分だったかな?)だったのは贅沢だったかな?なんと言っても長崎名物ちゃんぽん!!
さくら🌸は逆方向(博多→東京)は乗った🍀人生唯一のA寝台車を満喫しました🎵名古屋過ぎで車内販売から買ったクロワッサンとコーヒーは美味かった☺️
東京から九州まで行くブルートレインなんて、ロマンありますね…
当時は新幹線を凌ぐ寝台特急さくら号小さかった自分には長旅すぎました(笑)諫早か~ 懐かしい
伸一本当に懐かしいです。子供のころ、親の実家がある大村に近い諫早駅まで沼津駅から乗りました。また、新婚旅行で豊橋駅から長崎駅まで.初めてA寝台で乗車したのも懐かしい思い出です。日本も狭くなりましたね。
新幹線のスピードアップで余計日本が狭く感じた
さすが東京ブルトレの車内放送ですね。丁寧です
車内放送は国鉄末期からJR初期が最もレベルが高かったですね。ブルトレは各車掌区とも精鋭のチームが担当していましたから特にベテランの落ち着いた口調に癒されましたね。国鉄民営化の話が具体化する前は、車内アナウンスは意外とシンプルで、チャイムが流れないこともよくありました。
@@railway-sound さん 自分はJR初期の1988年6月~1989年5月まで「にっしょく北海道」で車内販売のアルバイトをさせて頂きましたが、確かにこんなにレベル高かったっけと北海道内においても、そう思って聴いてましたね。ユニークな車掌さんがいて、「はつかり型のオルゴール(気動車時代のはつかりを指し、アルプスの牧場の事です)は気に喰わんから鳴らさないが、鉄道唱歌は好きなので電車特急乗務は鳴らしている」というユニークな方でした。当時、会社は電車特急での車内販売は担当じゃなかったので、この車掌さんの電車特急の乗務時の放送は聴けませんでしたが、何時の日か聴いてみたいと当時はずっと思ってました。
強いて言うなら、『特急さくら号』ではなく『寝台特別急行さくら号』なら尚良かったかと。
国鉄時代は特別急行寝台特急さくら号が正式名称1981年に富士とさくらにリアルに乗った アラフィフ親父です
@@んほーちゃん さん うっ、羨ましい。
私も、小さい頃から、列車が好きでした
さくらの警笛と食堂車が懐かしいですね。
乗車車両は1号車「スハネフ14 1」トップナンバーで電源車なしでEF66の隣でした。
小郡とか懐かしい名前ですよね。三ノ宮には止まらないんですね。
東京発のブルトレは、全部カッコイイ電車でしたね!
電車ではありません。列車(客車)です。
カレチの制服がたまらなくカッコよかったと思う
夏服白のダブルスーツに赤い「車掌長」の腕章は特にカッコよかったですね。
食堂車🍴で、長崎の郷土料理ちゃんぽんが、食べることが、出来たのが、うらやましいです。
2005年春のダイヤ改正で、廃止されるまで、浦上駅は通過でした。
自分が小6か中1の時(1982年か1983年)ころに、東京から小郡(現在の新山口)まで、親父にB寝台に乗せてもらって、SLやまぐち号に乗せて貰いました。直前の台風で富士川の鉄橋が崩落していて、自分が乗った時は鉄橋の部材が水につかっているのが見えた記憶があります。
👍👍1000番台だ。寝台車の臭い好きだったな〜
お年玉回収に肥前山口まで乗ったなぁ。二段ベッドでうるさくてすごい揺れ、食べると吐くから胃の中空っぽで乗った記憶。席を交換したお礼にオッチャンにジュース買ってもらった思い出。
生々しい思い出ですね😅
今思えば寝台特急は非常に懐かしいです上野から函館まで北斗星で東北本線をひた走り青函トンネルを抜けて函館まで行った思い出が3回あります九州方面へは利用していないのですが出来たらまた復活してほしいですね笑新幹線で行くのもいいのですがこのような寝台列車での長旅も格別じゃないでしょうか
懐かしい❗ありがとうございます。帰省で博多まで利用させて頂きました。長~い車内アナウンスも今となっては良い思い出です(^o^)=b
唯一の定期寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」も自動放送で、長距離列車独特の車内放送を聞く機会もなくなってしまいましたね。
車内放送はじめのオルゴールがいいね~。これはブルトレだけなのかな?
今では全く見る事出来なくなってしまったブルートレイン。EF66牽引もよかったですけど、やはり自分の世代はEF65牽引がしっくりきますね。関門海峡トンネルに入る前の下関でEF81ステンレス、関門海峡トンネルぬけた門司でED76の交流電気機関車に交換されてたんですよね。EF81小豆色も使用されてた記憶があるんですが違いますかね? 寝台特急はあまりよく知らなかった自分でも、この「さくら」は知ってましたね。ブルートレインの代名詞みたいな感じで。今は乗ることも見る事も出来なくなって寂しいですね。この旅情感は今の寝台特急サンライズ出雲・瀬戸や豪華クルーズトレインでは出ないでしょうね一度乗ってみたかったです。
ブルートレインには開放B寝台にいつも1人独占か2人で乗っていました。全て埋まるというのはラストラン直前くらいでした。「トワイライトエクスプレス」も廃止発表前のB開放は比較的空いており、1両貸切状態で乗車したこともあります。ある意味贅沢な旅でしたね。EF65 500番代やEF58が格好良かったですね。関門トンネルにはEF81の小豆色、銀色両方あったと思います。
JR化で分割してしまったがために収益面でのロス、ややこしさが寝台列車そのものの運命、車掌区の受け持ちまで翻弄されましたね。「さくら」「富士」を東京車掌区が手放す、列車が廃止されつつも下関車掌区が列車を変えつつ全廃まで乗り続ける例もありました。下関の場合、他の車掌区と違い優等列車が寝台列車のみか1往復程度で、雇用維持で乗り続けたのでは?と推察します。寝台と荷物・貨物で全国1社にしておけば開放寝台料金の値下げや寝具の有料レンタル化、カーペット車やクルーズ用の豪華な個室の導入、14系や24系に変わる新車の投入でまだまだ生き続けたかも知れません。
JR化後は国鉄から承継した車両や社員を抱えていましたから、長距離列車や臨時列車やイベント列車で増収を図ることができました。しかし、車両の更新や団塊世代の大量退職で、新たな車両や人的投資について費用対効果で抑制されるようになり、趣味的にはつまらなくなりましたね。
サンライズさくらを、交直流電源バージョンで走らせられないものでしょうか。ルートはそのままとはいかないまでも、二階建ての二階に食堂車を長崎編成でもほしいし、オールナイトのバーカウンターを佐世保編成にというのは夢物語でしょうか。
ブルートレイン牽引機関車は、はやぶさ15輌のためにEF66に転換されたようですが、はやぶさ以外の牽引機関車は、そのままEF65・1000番台の方がEF66より年式も新しいかったから、そのままで良かったんではないですか…?それとも、機関車着け替えの手間・時間を省く為にも、EF81・300(ステンレス製)を増備すれば良かったんではなかったかな…?とか今になって思ったことでした。
間もなくJR、国鉄とJRでは価値が違います。国鉄時代に生きた自分としては。
でも東京車掌区の方が九州まで乗務してくるとはこれは非常珍しいですね東京車掌区と言えば東日本旅客鉄道だから熱海で交代する方が多いですね
逆に、下関、米子、広島、岡山、大阪、浜松、静岡、大分、博多、門司の車掌さんも東京まで乗務していました。
寝台列車、今のせかせかした世の中にこそ必要。
栄誉ある列車番号「1」🌸
全てとは申し上げにくいですが懐かしいです。
警視庁捜査一課の十津川警部と亀井刑事も、寝台特急さくらに、乗車されました。
さくらと言えば静岡県清水市出身でさくらももこ先生が思いつきますね2000年7月16日のちびまる子ちゃんまる子全国地図の旅でも2泊3日旅行計画の中に3日目の桜島からの帰りにさくら号を博多→静岡出できましたねでも私も乗りかった
速度は電車が上ですけど、機関車けん引の客車の方が品がありますね。
今では高速バスや新幹線の台頭でブルトレは無くなってしまいましたね。名古屋でも10年ほど前は東京から来た寝台列車が深夜に停まっていました。そしてさくらという名前は九州新幹線に受け継がれたけど鹿児島中央行きというのが違和感があります・・・さくらといえば今でも長崎へ行くというイメージがあります。
「さくら」「はやぶさ」と言えばブルートレインのイメージですが、そうイメージする人の割合も徐々に減っていくのでしょうね。「こだま」といえば0系新幹線ですが、もう一昔前の方なら151系特急をイメージするかも知れません。
2023年頃に、長崎駅~武雄温泉駅の区間で、リレー方式で暫定開業する、九州新幹線🚄西九州ルートが、将来武雄温泉駅~新鳥栖駅の区間が、フル規格で開業したら、長崎駅行き新幹線🚄さくらに復活して欲しいです。
いや、“さくら”という由緒正しい名跡は日本を代表する特别急行に充てられるべきものです。新鳥栖〜武雄温泉がフル規格にしろミニ新幹線にしろ開業したら、新大阪〜長崎の直通列車にこそ充てられるべきと考えます。“さくら”はいつかは長崎に帰ってきて欲しい。10代から30代半ばに年に2回は“さくら“ ”みずほ”を利用していました。開放型A寝台1両+開放型B寝台(3段→2段の過渡期でした)の編成で、ボストンバックと黄色い福砂屋の袋を下げて東京まで利用しました。西九州新幹線問題は佐賀県に大いに理があると考える60代後半のジジィでした。
そんなにスピードと安さを求めたいのかね‼️
かつての昭和53年の半ばから60年3月ダイヤ改正まではEF65-1056~1118までの機関車が、新製配置の上寝台特急さくら、はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ博多行き、下関行き、出雲、瀬戸号のすべて同機種500番台を置き換えました。
EF65は確か1096号からだったはずです
遅いと言われた夜行だけど、終着が昼過ぎになる「はやぶさ」「富士」と違い、長崎に午前10時に着ければ十分で、博多8時44分なんて最高の時間。仕事をちょっと早く切り上げて東京から乗るも良し、新幹線で追っかけても良し。ではなんで不人気だったかといえば、やはり運賃か…国鉄の運賃爆上げはあったにせよ、燃費が極悪な飛行機の方が安いなんておかしいよ。国策で飛行機の方が高くなるよう誘導すべき。いや、今からでも。
寝台特急の車掌さん、お客さんが降りる出前で起こしてくれるけど、新幹線の車掌さん(笑)(笑)居眠りしていたら乗り越した後に起こして意味ないじゃん。
豊橋停車唯一のブルートレイン。俗にいう1番、2番列車。
豊橋には止まるが、浜松には止まらない。
個人的に豊橋の町にはいい思い出がないです。。
都会は早う暗うなるけんね。オイも修学旅行の時東京からさくらに乗って帰って来た。
若い頃、長崎に帰省するときによく乗ってたわ。。毎年じゃなくて三年おき五年おきくらいで。食堂車とか車内販売は高かったから、東京駅で駅弁買ってね。。午前二時くらいに岡山から徳山迄走るんだけど、横揺れがすごくて、よく起こされたわ笑笑そう、その頃は洗顔する時指輪外してたわ。。今はもうハメっぱなし笑笑
東京車掌区。夜行列車ではさくら、富士、銀河、大垣夜行に乗務していました。
紀伊や20系臨時あさかぜ、カートレイン九州などにも乗務していましたね。古くは「桜島・高千穂」も・・・
寝台特急と言えば、ハイケンスのセレナーデ🎵
おはようござい特急寝台急行桜号長崎佐世保ーと出雲は
懐かしい(;つД`)子供の頃良く乗ってた。
今思うと、乗客が分かり切っている事を長々と放送で言うのも、昔は当たり前で、またそれが旅情と感じたんだなと。何時に何処で降りるか、分割して到着地(自分の目的地)が何処かなんて分かって切符を買ってるんだもの、余計な放送だよな。乗り間違い乗車じゃないか列車名と到着地の放送、予定変更があればその放送だけ伝えれば済むしな。
大阪を過ぎたらdiveします。
Nゲージにも有るが 長崎編成と佐世保編成。
8:55 東京土産なんだ笑
E231系が走ってた時代だから最近に感じる
広島駅であさかぜの連結作業したよなー
24系25型モノクラス編成時代の「あさかぜ2.3号」でしたね。「瀬戸」と共通運用で、車両は広島の所属だったように記憶しています。
ブルトレ引退した車両
あ~~~あ・・・・やっぱ、門司の言い方、間違ってるわ・・・「も」にアクセントつけて気持ち悪い・・・
東京の車掌さんですからね。
一般的に違和感のないイントネーションで言うのが妥当でしょう。
はやぶさ以外は、EF65・1000牽引のままで良かったはず💢他のブルートレインまで、古いEF66で牽引しなくても…。せっかくEF651000番台は、新造されてブルートレイン牽引機で一番スタイルが良かったのに、何でだったんか💨
家の親父の田舎が九州の平戸でした佐世保まで🌸さくらに乗った記憶があります🌸
国鉄期の車掌長(専務車掌?)さんにしてはぎこち無いね。
この車掌は珍しく下手。
この車掌は多分、今まで荷専(荷物取り扱い専務車掌)で、客専(乗客取り扱い専務車掌)になったばっかりだったんでしょうね。
小学1年の夏休みに父、母、姉、従姉妹、私で肥前鹿島から東京まで、さくら号に乗車しました。
その頃車内でどのように過ごしたか思い出せないのだけれど、日常ではない事は確かで、気持ちが高揚してた感覚と眠れなかった記憶だけは覚えています。
寝台特急さくら号は姿を消してしまいましたが、生きている間にもう一度、寝台特急に乗りたいです。
動画ありがとうございました。
用事もなく、乗るだけのためのお金もなく、子供心にただただ高級で憧れのブルートレイン。東京駅に写真を撮りに行っては、イケナイと分かりつつも、出発までの数分間に1車両を通過して旅情を想像し楽しんだものです。
それ故に走行中の車内音は想像すら付かず、さらに14系の分散型発電の音はどうなのかなど知りたいことが沢山ありました。
この動画は子供の頃に描いた夢を叶えてくれます。その頃に戻った気持ちになり、そして何より贅沢。色々upされている様なので楽しませていただきます。ありがとうございます。
この時代は夜行列車より飛行機の方が格段に安くなるなんて思いもしなかった。
飛行機は搭乗一週間前は割引が効かないからな
日本特急のエース
絶大な人気を誇ったスター特急
食堂車が連結して14系の3段ベッドなので比較的安い寝台券で乗車できた
少年時代憧れた特急列車で一度は乗って見たかったです
高校の修学旅行、帰りはさくらに乗って東京に帰りました。
友人たちと寝落ちするまでずっと喋り続けていた記憶は今も大切な宝物です。
40年ほど前に横浜から博多まで乗りました。初めてのブルトレだったので興奮でなかなか寝られず、ふと起きたらベットを片付けるとのことで周りの大人たちにせかされた思いでがあります。
1:01~7:27(東京発車後長~い放送)
特急さくら号ご利用いただきありがとうございます。さくら号、東京駅時間通りの発車でございます。この列車の編成は、一番前が1号車。一番後ろが12号車となっております。1号車から7号車までが、長崎までまいります。8号車から12号車まで、後より5両は佐世保行となります。肥前山口の駅で、長崎行と佐世保行とに分かれます。なおこの列車の編成の1号車・4号車・6号車~12号車まではB寝台でございます。2号車はA寝台。3号車はカルテット。B個室でございます。5号車は、食堂車の編成になっております。それでは、終点長崎・佐世保まで停まります駅の到着時刻をご案内をご案内致します。次は、横浜に停まります。横浜、沼津、富士、静岡の順に停まります。次の横浜17 : 01に着きます。沼津18 : 15、富士18 : 30、静岡18 :59(繰り返し)。なお、静岡から2号車ただいまA寝台、お座席になっておりますが寝台に変えさして頂きます。静岡から係員が参りますので、A寝台にお座りのお客様、寝台作業にご協力をお願いいたします。静岡を出ますと、豊橋20 : 19、名古屋21 : 07、京都22 : 54、大阪23 : 24、徳山、明日朝5 : 08に着きます。徳山5 : 08、小郡5 : 44、宇部6 : 06、下関6 : 44、門司6 : 56、小倉7 : 08、博多8 : 04、鳥栖8 : 32、佐賀8 : 56、肥前山口9 : 08。肥前山口9 : 08に着きます。肥前山口の駅では、長崎行と佐世保行とに分かれます。長崎行は、1号車から7号車まででございます。長崎行は、肥前山口を出ますと、肥前鹿島9 : 27、諫早10 : 19、長崎10 : 40。長崎には、明日午前10 : 40に着きます。佐世保行は、8号車から12号車まで5両でございます。肥前山口を出ますと、武雄温泉9 : 37、早岐10 : 07。終点の佐世保10 : 27に着きます(繰り返し)。なおこの列車には、車掌が3名常務致しております。東京車掌区所属の徳田・松本・依田、以上3名でございます。終点までお供させていただきます。なお、皆様にお願いを致します。洗面所で洗面の際、外されました時計・指輪・眼鏡等、忘れがちでございます。洗面所で洗面の際、十分ご注意ください。また、くずもの類は備え付けのくずもの入れにお捨ていただきますようお願いいたします。くずもの入れは、各車の洗面所付近(繰り返し)と、デッキにはめ込みのくずもの入れが備え付けでございます。お食べになりました弁当の空・空き缶等、くずもの類は備え付けのくずもの入れにお捨ていただきますようご協力をお願いいたします。なお車掌は、常時8号車におります。常時、車掌は8号車におります。車掌に、御用の際は車掌が通りましたらお申し付けください(繰り返し)。次は横浜に停まります。ホームは、左側になります。横浜17 : 01の到着です。
さくらのカルテットを覚えています。3号車だったんですね。途中下車しハウステンボスに行ったこと思い出します。
もう走っていないんですね。時の流れですね。懐かしすぎます。
懐かしい。高校生の時に東京に一人旅した際に「さくら」を往復で利用しました。青春の思い出の一ページを思い出しました。ありがとうございます。
就職で上京したのが昭和62年3月31日で国鉄最終日のさくらでした。
寝台特急さくらはEF651000番台+14系の組み合わせが最高でした。
いい時代だな。。。
懐かしいなぁ。東京駅では、向かい側のホームに185系の普通がいたのを覚えてます。亡き祖母とA寝台に乗った時は、19時頃にどこからともなく、係員がやって来て座席を寝台にセットしてくれたのを思い出しました。そして食堂車でハンバーグセット食べたり。まさに夜汽車の旅を思い出しました。ありがとうございます。
素晴らしい映像感謝❗食堂車、洗面所、車掌さん。流れ去るネオンサイン。「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴール。モザイクなしがいいですね😃目が潤んで来ました😅
小学校の頃に毎年長崎~小田原間で利用していました。食堂車のチープな味のカレーとディスペンサーで出した炭酸薄めのコーラの味を思い出します。
さくら号下り明朝からの食堂車。早速出向き和定食を食べて小郡辺りでコーヒー頂く時間が幸せの 絶頂だったんだなと、今ようやく気づきました。
懐かしいです。父の転勤で長崎・佐世保両方住んでいた関係でどちらの編成とも乗車しました。
ちょうど、3段から2段寝台へ改造した直後に、佐世保まで乗りましたね。自分も車内放送、カセットテープで持ってたんですが、どこへしまったやら(笑) 貴重な動画ありがとうございます‼️
懐かしい❗️
あの頃、若かりし頃の思い出がいっぱい❗️
名前だけは新幹線で引き継がれましたが、やはりこういうのは寂しいですね。
両親が佐世保出身なので、帰省する時はさくら、あかつきを利用してました。
懐かしい。動画ありがとう😊
ブルートレインはEF65・PF後期型がいちばんカッコいい時代でした。
この動画をどうか消さないでほしいです。
さくらは残念ながら乗ったことは無いですが、
東京発ブルートレインのうち、一番早い時間に出るやつと記憶しています。
あとこの頃はA寝台でも個室ではなく、開放型でややグレードは落ちてました。
食堂車。他の九州ブルトレは日食門司営業所でしたので、さくらは別メニューで皿うどんとかがありました。
東京発ブルトレは1980年10月ダイヤ改正の編成から全て乗車しました!一番最初に乗車した瀬戸はL特急やくも乗り継ぎで岡山まででした。一番想い出深い列車は何と言っても出雲で50回以上乗車しましたねぇ。阪神大震災発生時、出雲号は山陰本線電化工事のため伯備線経由運転でしたが、1995年夏、復旧工事始まったばかりの神戸の街中を20km徐行で真夜中走ったあの壮絶な光景は現在でも忘れられません。。2008年11月、寝台特急富士はやぶさ乗車で自分のブルトレ乗車は終焉してしまいましたがブルトレで過ごさせて頂いた様々な夜は多感な時期に己と対峙する至極貴重な時間と成り自分の人生を変えたと言っても過言ではありまん。。ブルトレの存在と想い出は自分にとって、まさに人生の宝物です!
日本食堂の放送はポイントが高いですね、車窓を眺めながら旅の話をしながらの飲食は長くなってしまいそうですね。
早朝、おはようございますから始まる朝の放送を聞きながら通路側の壁面に収納された椅子に腰かけてボーっとした
頭で車窓を眺めるのが好きでした。 しかし、今は、320㎞の旅路、車窓の眺めがすっ飛んでいきます。
旅のレストラン日本食堂やからね🤗
到着時刻案内で小郡駅があるのが最高です。現在、新山口などという何が新しいのかサッパリ分からない駅名にしてしまっているので、戦前からの伝統ある駅名が聞けて良かったです。ありがとうございます。
ちなみに2019年山口駅から博多まで移動した際、山口駅のみどりの窓口で「博多までの乗車券と小郡から博多までの新幹線特急券をください」と言って切符を購入しました。
懐かしい!、車内放送のオルゴールにメタル感溢れる走行音、他の列車とは違い、隔絶されたような窓からの景色、また乗りたいな。さくらは、鳥栖での分割が印象的でした。
鳥栖は0番線の立ち食いうどん思い出します。懐かしいですね~
時代が発展するに連れて全てが華やかな風景になるが、情緒という心の風景は失われて行く。
今は寝台列車というより瑞風みたいな「金持ち」専用の列車が増えすぎて、なんか悲しい。
もう一回寝台特急に乗りたかったな〜、車輪の軋み音がうるさくて寝れなかった記憶が有るな〜。しかしそれも贅沢や〜、チャイムも懐かしい。 列車旅と 旅行の違いだね。肥前山口の名前文字今は無い😂
最初に乗ったブルートレインがさくらだった。乗車区間は名古屋から長崎で、関門トンネルの牽引機関車はなんとEF81 300番台だった(H11年頃)
私若い頃寝台特急に乗ったのよを思い出すよ、東京駅を出って社内アナウンスで停車駅ゃ時間のアナウンスを思い出します!
もう、博多駅に着いたのかもっと乗りたいのにと思った、若き頃の思い出が🤗
。
長崎です。懐かしい。。B寝台で、三段ベットでしたね。
修学旅行も帰りはさくら号。
昔、出張は列車のみで、さくら号でした。16時間の旅でした。
まだ、未成年の時に、同じ、椅子に座った方に飲まされたのを覚えてます。
また、よく、ご飯もタダでもらってました。
ありがとう。ブルートレイン!
健康なうちに乗ってみたかったな!
昼前に長崎着くのは便利だなぁ
上りはアンカーということもあって、東京駅到着が昼前(11時33分だったかな?)だったのは贅沢だったかな?
なんと言っても長崎名物ちゃんぽん!!
さくら🌸は逆方向(博多→東京)は乗った🍀
人生唯一のA寝台車を満喫しました🎵
名古屋過ぎで車内販売から買ったクロワッサンとコーヒーは美味かった☺️
東京から九州まで行くブルートレインなんて、ロマンありますね…
当時は新幹線を凌ぐ寝台特急さくら号
小さかった自分には長旅すぎました(笑)
諫早か~ 懐かしい
伸一
本当に懐かしいです。
子供のころ、親の実家がある大村に近い諫早駅まで沼津駅から乗りました。
また、新婚旅行で豊橋駅から長崎駅まで.初めてA寝台で乗車したのも懐かしい思い出です。
日本も狭くなりましたね。
新幹線のスピードアップで余計日本が狭く感じた
さすが東京ブルトレの車内放送ですね。丁寧です
車内放送は国鉄末期からJR初期が最もレベルが高かったですね。ブルトレは各車掌区とも精鋭のチームが担当していましたから特にベテランの落ち着いた口調に癒されましたね。国鉄民営化の話が具体化する前は、車内アナウンスは意外とシンプルで、チャイムが流れないこともよくありました。
@@railway-sound さん 自分はJR初期の1988年6月~1989年5月まで「にっしょく北海道」で車内販売のアルバイトをさせて頂きましたが、確かにこんなにレベル高かったっけと北海道内においても、そう思って聴いてましたね。ユニークな車掌さんがいて、「はつかり型のオルゴール(気動車時代のはつかりを指し、アルプスの牧場の事です)は気に喰わんから鳴らさないが、鉄道唱歌は好きなので電車特急乗務は鳴らしている」というユニークな方でした。当時、会社は電車特急での車内販売は担当じゃなかったので、この車掌さんの電車特急の乗務時の放送は聴けませんでしたが、何時の日か聴いてみたいと当時はずっと思ってました。
強いて言うなら、『特急さくら号』ではなく『寝台特別急行さくら号』なら尚良かったかと。
国鉄時代は
特別急行寝台特急さくら号が正式名称
1981年に富士とさくらにリアルに乗った アラフィフ親父です
@@んほーちゃん さん うっ、羨ましい。
私も、小さい頃から、列車が好きでした
さくらの警笛と食堂車が懐かしいですね。
乗車車両は1号車「スハネフ14 1」トップナンバーで電源車なしでEF66の隣でした。
小郡とか懐かしい名前ですよね。
三ノ宮には止まらないんですね。
東京発のブルトレは、全部カッコイイ電車でしたね!
電車ではありません。
列車(客車)です。
カレチの制服がたまらなくカッコよかったと思う
夏服白のダブルスーツに赤い「車掌長」の腕章は特にカッコよかったですね。
食堂車🍴で、長崎の郷土料理ちゃんぽんが、食べることが、出来たのが、
うらやましいです。
2005年春のダイヤ改正で、廃止されるまで、浦上駅は通過でした。
自分が小6か中1の時(1982年か1983年)ころに、東京から小郡(現在の新山口)まで、親父にB寝台に乗せてもらって、SLやまぐち号に乗せて貰いました。
直前の台風で富士川の鉄橋が崩落していて、自分が乗った時は鉄橋の部材が水につかっているのが見えた記憶があります。
👍👍1000番台だ。寝台車の臭い好きだったな〜
お年玉回収に肥前山口まで乗ったなぁ。二段ベッドでうるさくてすごい揺れ、食べると吐くから胃の中空っぽで乗った記憶。席を交換したお礼にオッチャンにジュース買ってもらった思い出。
生々しい思い出ですね😅
今思えば寝台特急は非常に懐かしいです
上野から函館まで北斗星で東北本線をひた走り青函トンネルを抜けて函館まで行った思い出が3回あります
九州方面へは利用していないのですが
出来たらまた復活してほしいですね笑
新幹線で行くのもいいのですが
このような寝台列車での長旅も格別じゃないでしょうか
懐かしい❗ありがとうございます。
帰省で博多まで利用させて頂きました。
長~い車内アナウンスも今となっては良い思い出です(^o^)=b
唯一の定期寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」も自動放送で、長距離列車独特の車内放送を聞く機会もなくなってしまいましたね。
車内放送はじめのオルゴールがいいね~。これはブルトレだけなのかな?
今では全く見る事出来なくなってしまったブルートレイン。
EF66牽引もよかったですけど、やはり自分の世代はEF65牽引がしっくりきますね。関門海峡トンネルに入る前の下関でEF81ステンレス、関門海峡トンネルぬけた門司でED76の交流電気機関車に交換されてたんですよね。EF81小豆色も使用されてた記憶があるんですが違いますかね?
寝台特急はあまりよく知らなかった自分でも、この「さくら」は知ってましたね。ブルートレインの代名詞みたいな感じで。
今は乗ることも見る事も出来なくなって寂しいですね。
この旅情感は今の寝台特急サンライズ出雲・瀬戸や豪華クルーズトレインでは出ないでしょうね
一度乗ってみたかったです。
ブルートレインには開放B寝台にいつも1人独占か2人で乗っていました。全て埋まるというのはラストラン直前くらいでした。「トワイライトエクスプレス」も廃止発表前のB開放は比較的空いており、1両貸切状態で乗車したこともあります。ある意味贅沢な旅でしたね。EF65 500番代やEF58が格好良かったですね。関門トンネルにはEF81の小豆色、銀色両方あったと思います。
JR化で分割してしまったがために収益面でのロス、ややこしさが寝台列車そのものの運命、車掌区の受け持ちまで翻弄されましたね。「さくら」「富士」を東京車掌区が手放す、列車が廃止されつつも下関車掌区が列車を変えつつ全廃まで乗り続ける例もありました。下関の場合、他の車掌区と違い優等列車が寝台列車のみか1往復程度で、雇用維持で乗り続けたのでは?と推察します。
寝台と荷物・貨物で全国1社にしておけば開放寝台料金の値下げや寝具の有料レンタル化、カーペット車やクルーズ用の豪華な個室の導入、14系や24系に変わる新車の投入でまだまだ生き続けたかも知れません。
JR化後は国鉄から承継した車両や社員を抱えていましたから、長距離列車や臨時列車やイベント列車で増収を図ることができました。しかし、車両の更新や団塊世代の大量退職で、新たな車両や人的投資について費用対効果で抑制されるようになり、趣味的にはつまらなくなりましたね。
サンライズさくらを、交直流電源バージョンで走らせられないものでしょうか。
ルートはそのままとはいかないまでも、二階建ての二階に食堂車を長崎編成でもほしいし、オールナイトのバーカウンターを佐世保編成にというのは夢物語でしょうか。
ブルートレイン牽引機関車は、はやぶさ15輌のためにEF66に転換されたようですが、はやぶさ以外の牽引機関車は、そのままEF65・1000番台の方がEF66より年式も新しいかったから、そのままで良かったんではないですか…?それとも、機関車着け替えの手間・時間を省く為にも、EF81・300(ステンレス製)を増備すれば良かったんではなかったかな…?とか今になって思ったことでした。
間もなくJR、国鉄とJRでは価値が違います。国鉄時代に生きた自分としては。
でも東京車掌区の方が九州まで乗務してくるとはこれは非常珍しいですね
東京車掌区と言えば東日本旅客鉄道だから熱海で交代する方が多いですね
逆に、下関、米子、広島、岡山、大阪、浜松、静岡、大分、博多、門司の車掌さんも東京まで乗務していました。
寝台列車、今のせかせかした世の中にこそ必要。
栄誉ある列車番号「1」🌸
全てとは申し上げにくいですが懐かしいです。
警視庁捜査一課の十津川警部と亀井刑事も、寝台特急さくらに、乗車されました。
さくらと言えば静岡県清水市出身でさくらももこ先生が思いつきますね
2000年7月16日のちびまる子ちゃんまる子全国地図の旅でも2泊3日旅行計画の中に
3日目の桜島からの帰りにさくら号を博多→静岡出できましたね
でも私も乗りかった
速度は電車が上ですけど、機関車けん引の客車の方が品がありますね。
今では高速バスや新幹線の台頭でブルトレは無くなってしまいましたね。
名古屋でも10年ほど前は東京から来た寝台列車が深夜に停まっていました。
そしてさくらという名前は九州新幹線に受け継がれたけど鹿児島中央行きというのが違和感があります・・・
さくらといえば今でも長崎へ行くというイメージがあります。
「さくら」「はやぶさ」と言えばブルートレインのイメージですが、そうイメージする人の割合も徐々に減っていくのでしょうね。「こだま」といえば0系新幹線ですが、もう一昔前の方なら151系特急をイメージするかも知れません。
2023年頃に、長崎駅~武雄温泉駅の区間で、リレー方式で暫定開業する、九州新幹線🚄西九州ルートが、将来武雄温泉駅~新鳥栖駅の区間が、フル規格で開業したら、長崎駅行き新幹線🚄さくらに復活して欲しいです。
いや、“さくら”という由緒正しい名跡は日本を代表する特别急行に充てられるべきものです。新鳥栖〜武雄温泉がフル規格にしろミニ新幹線にしろ開業したら、新大阪〜長崎の直通列車にこそ充てられるべきと考えます。“さくら”はいつかは長崎に帰ってきて欲しい。10代から30代半ばに年に2回は“さくら“ ”みずほ”を利用していました。開放型A寝台1両+開放型B寝台(3段→2段の過渡期でした)の編成で、ボストンバックと黄色い福砂屋の袋を下げて東京まで利用しました。
西九州新幹線問題は佐賀県に大いに理
があると考える60代後半のジジィでした。
そんなにスピードと安さを求めたいのかね‼️
かつての昭和53年の半ばから60年3月ダイヤ改正まではEF65-1056~1118までの機関車が、新製配置の上寝台特急さくら、はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ博多行き、下関行き、出雲、瀬戸号のすべて同機種500番台を置き換えました。
EF65は確か1096号からだったはずです
遅いと言われた夜行だけど、終着が昼過ぎになる「はやぶさ」「富士」と違い、長崎に午前10時に着ければ十分で、博多8時44分なんて最高の時間。仕事をちょっと早く切り上げて東京から乗るも良し、新幹線で追っかけても良し。
ではなんで不人気だったかといえば、やはり運賃か…
国鉄の運賃爆上げはあったにせよ、燃費が極悪な飛行機の方が安いなんておかしいよ。国策で飛行機の方が高くなるよう誘導すべき。いや、今からでも。
寝台特急の車掌さん、お客さんが降りる出前で起こしてくれるけど、新幹線の車掌さん(笑)(笑)居眠りしていたら乗り越した後に起こして意味ないじゃん。
豊橋停車唯一のブルートレイン。俗にいう1番、2番列車。
豊橋には止まるが、浜松には止まらない。
個人的に豊橋の町にはいい思い出がないです。。
都会は早う暗うなるけんね。オイも修学旅行の時東京からさくらに乗って帰って来た。
若い頃、長崎に帰省するときによく乗ってたわ。。毎年じゃなくて三年おき五年おきくらいで。食堂車とか車内販売は高かったから、東京駅で駅弁買ってね。。午前二時くらいに岡山から徳山迄走るんだけど、横揺れがすごくて、よく起こされたわ笑笑
そう、その頃は洗顔する時指輪外してたわ。。今はもうハメっぱなし笑笑
東京車掌区。夜行列車ではさくら、富士、銀河、大垣夜行に乗務していました。
紀伊や20系臨時あさかぜ、カートレイン九州などにも乗務していましたね。古くは「桜島・高千穂」も・・・
寝台特急と言えば、ハイケンスのセレナーデ🎵
おはようござい特急寝台急行桜号長崎佐世保ーと出雲は
懐かしい(;つД`)子供の頃良く乗ってた。
今思うと、乗客が分かり切っている事を長々と放送で言うのも、昔は当たり前で、またそれが旅情と感じたんだなと。
何時に何処で降りるか、分割して到着地(自分の目的地)が何処かなんて分かって切符を買ってるんだもの、余計な放送だよな。
乗り間違い乗車じゃないか列車名と到着地の放送、予定変更があればその放送だけ伝えれば済むしな。
大阪を過ぎたらdiveします。
Nゲージにも有るが 長崎編成と佐世保編成。
8:55 東京土産なんだ笑
E231系が走ってた時代だから最近に感じる
広島駅であさかぜの連結作業したよなー
24系25型モノクラス編成時代の「あさかぜ2.3号」でしたね。「瀬戸」と共通運用で、車両は広島の所属だったように記憶しています。
ブルトレ引退した車両
あ~~~あ・・・・
やっぱ、門司の言い方、間違ってるわ・・・
「も」にアクセントつけて気持ち悪い・・・
東京の車掌さんですからね。
一般的に違和感のないイントネーションで言うのが妥当でしょう。
はやぶさ以外は、EF65・1000牽引のままで良かったはず💢他のブルートレインまで、古いEF66で牽引しなくても…。せっかくEF651000番台は、新造されてブルートレイン牽引機で一番スタイルが良かったのに、何でだったんか💨